號:梅鳳と言う。明治44年高山上川原町19に信助(二代目梅之丞)の長男として生まれる。故あった家業を弟にまかせ、自ら独立し、国分寺通りの花岡町にて商売の傍ら彫刻を始める。飛騨の黒牛のみを手がけ、初代、二代の作品を独自に研究しながら温和でかつ重厚な作品を多数残す。その黒牛は縁起物の福をもたらすとして人気を博し、市内はもとより各地からの注文多く、常にその作風においての精進を重ねながら多忙な日々を送られた。晩年に至っては4、増々その卓越した彫技をふるわれていたが、惜しくも昭和58年(1982)1月73才で他界される。
詳 細 | サイズ | 状 態 |
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梅ノ木 | 全体 60㍉×80㍉ | 時代のわりには状態良い |
共箱 |