天保8年(1836)岐阜県大野郡丹生川村旗鉾の大下家の出身。縁あって島川原在住石神家の養子なり、姓えお石神梅之丞と改める。師を持たず、独創的な彫刻を初め、近在郷近郊にその多くの作品を残す。黒牛をはじめ大黒、恵比寿、龍、虎、猪、小さな牛の根付などもあり、中でも最も得意とする黒牛は初め「佐渡牛」がモデルであったと言われ、その写実的で穏やかな魅力あふれる形姿は絶妙であり、飛騨の黒牛の精神が心にくいまで表現されています。熟練期の作品とされる俵持ちの黒牛の多くは主に土蔵の守り神などとして縁起物に転じて今日でも飛騨の人達の心をとらえ、大切に崇められています。特徴の一つとして刻材の本体には梅の木、俵に山ボシの木、一木彫りされた鎖は白楊の木 金袋には杜松の木などが使用され、目には黒いビーズガラス玉が象嵌されており、一見素朴な中にも思いがけないが凝らされています。 また興味深い作品の中に岩彩や滝、松、竹、梅などの配した景の彫刻に動物や人物のを置き、彩色を加えた稀類の作品もあり、実に多彩です。晩年は宗猷寺朝鷹の湯下の江名子川畔に住し、専ら彫刻に精魂を傾けると共に、傍ら川柳や俳歌も能くしたと言われています。在りし日、長男信助の妻いよさんが、針仕事に夢中で拙ない仕草で針に糸を通していたおり、梅之丞がひょっこり顔をみせ、次の一句を残して帰られたという。
「よせばよいのに この年寄りが つばをつけつけ 針の目と」
大正4年(1914}3月2日79才で他界 法名 院釈浄院
詳 細 | サイズ | 状 態 |
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梅の木 | 牛 175㍉×315㍉ | 時代のわりに良好です |
ねずみ 115㍉×65㍉ |
展示会出品作品です。
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