久邇宮朝彦親王の第三男子。兄・賀陽宮邦憲王が病弱なため、明治20年久邇家を継承。皇族として初めて陸士、陸大を卒業。以後陸軍に所属、日露戦争出征、旅団長、師団長を歴任し、大正12年大将に進み、薨去の際し元帥府に列せられた。明治32年島津忠義公の第七女・俔子(ちかこ)姫と結婚。三王子、三王女をもうけられ、第一王女良子女王は昭和天皇の皇后になられた。
商品のお問合せ